元・緑のふるさと協力隊@やすおか

23期緑のふるさと協力隊として東京から長野県泰阜村にやってきました。日々感じたことを発信していきます。

秋といえば②

18日は平島田の平和宮戦没者・満蒙開拓犠牲者の追悼式がありました。

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私は懇親会の準備担当だったので式典には参加できなかったのですが、お酒の席で遺族の方から少しずつ戦争のお話しを伺うことができました。

満蒙開拓団」とは、満州事変から終戦までの間に国策で満州国へ渡った人たちのこと。

恥ずかしながら私は泰阜にきて初めて満蒙開拓の事を知り、今もまだ勉強中なのですが。

かつて養蚕が盛んだった日本は世界大恐慌と大飢饉で不景気になり、政府は「満州へ行けば広い土地がもらえる」「兵隊に行かなくていい」などといって「分村」という形の移民政策を進めました。長野県からは3万人以上、特に飯田下伊那地域は多くの移民を送り出し、貧しかった泰阜村も1000人以上が入植したそう。

結果、ソ連の参戦で開拓団は国の軍隊に取り残され、集団自決や飢餓・病気で多くの死者を出すことになり、生き延びても帰国することができず中国残留孤児となった人たちもいました。

ちょうど満蒙開拓をテーマにした映画のDVDを借りていたので見ることに。

「望郷の鐘」という作品で、内藤剛志とか常盤貴子もでてる!

f:id:mocco25:20161026214010j:plain戦後生まれの感覚からすると、“お国のために”と家族を戦地へ送り出したり万歳してる姿を見ていると、なんで国策に疑問を持たなかったのかとか、周りに流されたのかとか、100%客観的に見ているからいくらでも言えるのだけど、

もしその渦中にいたらと考えるとやっぱり自分も同じように周囲に同調して流されてしまったのかなというのが本音。

村の人たちに話を聞いていると、大正から昭和一桁生まれのおじいちゃんおばあちゃんがギリギリ戦時中のことも知ってる世代で、その下の60代前後は、親の兄弟が戦死した~という話になってくるので、やっぱり今話を聞けるリミットだなと感じる。

協力隊の立場でたくさんのお年寄りと接する機会があるので、なにか繋げることができないかなーと考えてるところです。

ちなみに近くの阿智村には満蒙開拓の記念館があって、来月両陛下が訪問されるそうなので世間的にも注目されるかも。

 

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話は変わって、先週末の土日は里芋堀りのお手伝いをしました!

我が家の近くの田んぼだったところに今年初めて里芋を作ったそうで、稲刈りが片付いたからいよいよ収穫の時きたる!というわけです。

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重機で株を掘り起こしてから、一株ごとに里芋がくっついてるのでそれを手でほぐしていく作業だったのだけど・・

“いもほり”のイメージをはるかに超える大変さだった(=゚ω゚)

土が堅いし根っこが張ってて簡単に株がくずれないし、ナタとか使うと芋が傷ついて出荷できなくなるので、手でゲンコツ作ってたたいて芋を取り出す。しかも前屈みの姿勢で筋肉痛になるし、重労働な割に達成感があまりないっていう。笑

正直、泰阜に来て一番エライ作業だった?

そうは言っても、私は風邪を理由に他の人より遅い時間から参戦したからきっとマシな方だったし、

夜はお宅に呼んでくれて、ご家族と一緒に焼き肉や鍋したり美味しいお酒飲ませてもらったり。二日目はお昼も用意してくださって、気を使って毛布と枕を用意してお昼寝もさせてくれて、なんだか家族の仲間入りをしたみたいで温かかったなぁ(´ω`)

今はシーズン真っ盛りのようで、今日行ったお宅でも煮た里芋に味噌をかけたのをいただきました!

里芋の旬がこの時期なんて知らなかった。ああいう育ち方をするのも初めて知った。

泰阜に来て半年たったけど、毎日毎時、新しい出会いや発見があって、まだまだ知らないことだらけ。

 

少しずつ山々が色づいてきておる^^秋よこい~♪

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